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2009年3月25日 (水)

憧れの野球人 原辰徳

男を上げたね。

今回のWBC監督人選は北京オリンピックの惨敗の後だったから、大変だったと聞く。

星野さんが「火中の栗」と表現するほど誰もが受けたがらない状況の中、原さんは二つ返事でOKしたという。

・・・実際には様々な想いが交錯しただろう。

しかしあえてその状況の中、監督を受け、その結果彼は日本中に感動を与えてくれた。

原さんは高校時代からヒーローだった。

俺の姉貴は江川卓さんの熱烈なファンで甲子園大会の新聞記事を切り抜きファイルしていたほどだ。

だからその影響で、俺はこの時代の高校野球には結構詳しい。

原さんは江川さんの3つ下だから甲子園での直接対決はなかった(大学時代には対決しているが)。

江川さん以降数年間は俺たちの世代にとってはヒーロー達が甲子園で活躍した時期だ。

その中でも江川さんと原さんは飛び抜けたビッグネームだ。

定岡正二さんなんかもヒーローのひとりで、鹿児島実業と東海大相模の名勝負は今でも覚えている。

この試合では確か原さんはホームランを打ち東海大相模が優勢に試合を進めたが、鹿児島実業が延長戦の末勝利したと記憶している(Wikipediaで確認したら合っていた(^v^))。

高校時代の彼をテレビで見たとき、体はでかいし男前だし、甲子園のヒーローってすごいなあ、とぼんやり感じていた。

その後、東海大学を経てジャイアンツ入りするのだが、ドラフトでも4球団競合した中、藤田監督が交渉権獲得クジを引き当てたと記憶している(これもWikipediaで確認した・・・俺結構すごいじゃん)。

プロ入団後は王さんの後を継ぐジャイアンツの4番という重責もつらかったと思う。

ONほどの飛び抜けた結果を残したわけではないが、コンスタントに活躍した(新人王、MVP、打点王それぞれ1回)し、何より彼には常に華やかさがあった。

監督就任は長嶋さんから引き継いだ。これも重責だったろう。

それでも見事な結果を残している。

一見華やかさしか感じない彼の野球人生だが、こうして振り返ってみると常に重責に打ち勝ち結果を残していることがわかった。

打てないときに送りバントをした苦渋の原さん。

ホームランを打ちバットを放り投げ喜びを爆発させた原さん。

すべてリアルタイムに見た俺の脳裏に焼き付いている。

う~む、しかし・・・原辰徳おそるべし。

愛読書の一つは新渡戸稲造の「武士道」という。

俺も読んでみるかな・・・

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