中村俊輔の手記
ワールドカップ本戦出場決定から一夜明け、各スポーツ紙には限られた情報の中で精一杯の記事が氾濫している。
その中でもスポーツニッポンの中村俊輔の独占手記に目が行った。
その中で印象的な部分があったので引用させてもらう。
最初に招集されたときは4―4―2で、セルティックと同じ右をやらせてもらったから、自分としてもプレーしやすかった。とにかくまず周りの動きを把握しつつ、その中で自分の色を出していく。その順番だけは間違えないようにした。以前はいかに自分を良く見せるかに集中していた。でも、セルティックで得た経験から、大事なことは自分だけを良く見せることではなく、集団の中でどれだけ見せられるかだと分かった。自分のプレーばかり見せようとすると、そのときは良かったとしても、必ずどこかで引っかかる。そうじゃなくて、近くの人と連動して良いプレーをして、その中で自分をアピールすることが大切だと思う。
こいつ・・・大人になったなあ。
思えば、俊輔のサッカー人生は華やかなものばかりではない。
マリノスのジュニアユースからユースに昇格できず、啓光学園に行って花開いたわけだし、プロになってからも2002年のワールドカップメンバーにも(トルシエに気に入られず)選らばれなかった。
エリート一筋ってわけではなく、彼なりの挫折を味わっているのだ。
そのせいか、マリノス時代はいつもボールを持ちすぎるイメージが(俺には)あった。
「俺はこんなにできるんだ」と言わんばかりのプレーが目についたし、それはレッジーナ時代にも感じたことだ。
スコットランドリーグに行くことに疑問を持ったのは俺だけではないだろう。
・・・でも、今回彼からこんな言葉が出るとは思わなかった。
スコットランドリーグはお世辞にもレベルは高くない。
お山の大将にならずに、その中での体験を貴重な自分の糧にしているとは・・・
恐るべし「坊っちゃん」(´ー`)・・・これ、マリノス在籍当時の愛称。
本当にたくましくなった。
男は戦いの中で磨かれていくんだなあ。
さあ、リーグ戦再開の初戦、浦和戦を見に行くよ!
21日に会えることを楽しみにしてる!
ありがとう!俊輔!たのむぜ俊輔!
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