カズさん in 日経新聞 2011年8月12日
『2000年6月、モロッコにてフランス戦に挑む日本代表のミーティングを思い出す』
今日の「サッカー人として」はこの書き出しで始まりました。
タイトルは『マツが残した ぎらつき』
マツへの追悼文となっている今回ですが、カズさんが冒頭で語ったこの試合は第3回ハッサン2世国王杯での初戦のことであります。
フランスのメンバーは海外サッカーにあまり詳しくない私でも知っている名前がずらり。
テュラム、デサイー、ジダン、トレセゲ、アンリ・・・恐ろしや(´・ω・`)
このフランスに対し日本は西澤・森島のセレッソコンビで2点を取り、2-2の同点で90分を戦い終えたもののPKで惜しくも敗退。
モリシの先制弾・・・興奮しました。フランスに先制したんですからね~(=゚ω゚)ノ
後半にジダンに同点にされた後、今度は西澤がスーパーボレーシュートを決めます。
西澤君はこの一発で海外への道が開けたんですからホントにスーパーゴールだったですよねΨ(`∀´)Ψ
しかし、あと一歩というところで歴史的勝利をつかむには至りませんでした。
この試合、カズさんは残念ながら出場機会はなし。
なぜ私がなかなか日経記事の内容に踏み込まずにハッサン2世国王杯の事を語っているかというとこの大会、我々カズさんファンには“今のところ”特別な大会だったからです。
このフランス戦に続く第2戦目、対ジャマイカ戦に途中出場したカズさんは代表55ゴール目となる得点を挙げました。
75分に名波に代わってピッチに入り、そのわずか3分後に中田英からのアシストでゴールを決めているんですねぇ。
・・・今のところ、これがカズさんの日本代表としての最後の出場試合および得点となっています。
今のところね。
マツのことに触れる前に、この場面が思い出された私でありました・・・
さて、今日の記事でカズさんはそんなことには微塵も触れず、マツのことをこう書いてます。
『若いころのマツは外国人選手だろうが誰だろうが小ばかにできて、僕も「たいしたことねえよ」とみなされた一人だった。敬意を払われるようになったのは彼が年を取ってからかな』
『それでもプロというものは丸くなるだけじゃいけないんだ。試合に出られなければ「くそ野郎」といきり立つくらい、ギラギラしていなければ』
『マツにはそれがあった。松本山雅からJリーグをにらむ顔が「俺はここからはい上がる」と語っていた。あのぎらつきがある限り、道も続いていたはずだった』
私の稚拙なコメントは不要ですね。
『プロというものは年を取っても丸くなるだけではダメ』というカズさん。
『俺はここからはい上がる』と言葉ではなく態度で示していたマツ。
「竜馬がゆく」の中の勝海舟の言葉を借りればまさしく、
『評するも人(大人物)、評さるるも人』ですね。
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