書籍・雑誌

2014年2月18日 (火)

言志四録

いつもは何気なく読むか、読まずに削除するような、あるメールマガジンで興味深い話を見つけた。

タイトルは『憤の有無』

曰く、こうである------

●佐藤一斎が書いた『言志四録』のなかに「憤の一字は、これ進学の
機関なり」という言葉がある。発憤することが、学業や仕事を牽引す
る機関車になる、という意味である。

●その「憤」には二種類ある。
「よし、がんばるぞ」とか「なにくそ、負けてたまるか」と奮い立つ
ことを私の憤、つまり「私憤(しふん)」という。
「このままでは日本の政治がダメになる」とか「この業界をもっとも
っと良くしたい」などと自分以外のために奮い立つことを「公憤(こ
うふん)」という。

●私憤であろうが、公憤であろうが、「憤」がある人は伸びるし、人
の上に立てる。反対に「憤」がない人はどんな教育を施そうが、どん
なポストに据えようが期待に応えられない。

●かつて吉田松陰は地域の子どもや青年達を身分の垣根をこえて教え
育てた。「松下村塾」といった。高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文、山
縣有朋、品川弥二郎、山田顕義ら、明治維新の立役者をたくさん育て
た。松陰先生が塾生個々の適性を見抜き、それに応じたカリキュラム
を組んで育ててくれた。

●だが松下村塾にやってくる子どもの中に、「憤」がない子が三人い
た。二年間も松陰先生の元で学び、明治まで生きたにもかかわらず、
まったく出世せず、それどころか、行方もわからなくなってしまった
若者たちである。記録では、音三郎 16才、市之進 13才、溝三郎 13才
となっていて、いずれも町人の子だったという。

●人からたのまれて松陰先生は断れずに置いておいたが、いずれも、
ふやけた感じの子で松陰が懸命に矯正を試みたが結局うまくいかなか
ったという。

●リーダーの立場がつとまるかどうかの判断材料として「憤」がある。
あの松陰先生ですら、「憤」がない子どもは育てられなかったわけだ
から、「憤」がない人に大きな仕事を任せられない、ということを頭
に入れておきたいものだ。

-----以上、ここまで

なるほど。

買い求めてみましょう(・∀・)

2014年1月11日 (土)

【超訳】吉田松陰~留魂録~

僕は幕末史が好きで、特に坂本龍馬さんにまつわる書籍を読み漁った時期がありました。

その流れで今でも幕末史に関わる本は好きです。

最近、吉田松陰の語録に関わる「超訳本」を読み、久々に心打たれました。

例えば有名な「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」から始まる「留魂録」の超訳には胸を打たれました。

人生は四季を巡る

もうすぐこの世を去るというのに
こんなおだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。

春に種をまいて、夏に苗を植え、
秋に刈り取り、冬が来れば貯蔵する。
春と夏にがんばった分、
秋が来ると農民は酒をつくって、
なんなら甘酒なんかもつくって、
収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。

収穫期がやってきて、
きつい仕事がようやく終わった。
そんなときに、悲しむ人なんていないでしょう。

私は三十歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。
このまま死ぬのは惜しいです。
がんばって働いたけど、
なにも花を咲かせず、実をつけなかった。

ですが、
私自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。

農業は一年で一回りしますが、
人の寿命というものは決まっていません。
その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、
あるような気がするんです。

百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
三十歳で死ぬ人は三十歳なりの四季があるということ。
つまり、
三十歳を短すぎるというなら、
夏の蝉と比べて、ご神木は寿命が長すぎる
というのと似たようなものじゃないかと思います。

私は三十歳で、四季を終えました。
私の実りが熟れた実なのか、
モミガラなのかはわかりません。

ですがもしあなたたちの中に、
私のささやかな志を受け継いでやろう
という気概のある方がいたら、
これほどうれしいことはありません。

いつか皆で収穫を祝いましょう。

その光景を夢に見ながら、私はもういくことにします。

死を覚悟し、自分の人生を振り返った時に僕はこうは考えないだろう。

「いつか皆で収穫を祝いましょう」

これは心に響くね

2010年11月 5日 (金)

カズさん in 日経新聞(2010年11月5日)

またまた深イイ「サッカー人として」のコラムです。
今日は「納得できないことに対して、どう行動するか」を提言している。

今日の格言は多いよ(笑)

『主張することはいい。でも「なぜこうなるんだ」と文句を言いつつも走らなきゃ。放棄するようならプロとしては終わり』
『考えるだけで止まっている人間はたくさんいる。お前もそうだ。考え、悩め、でも前に出ろ』
『失敗して、人生のレールを踏み外すこともある。その時も、フラフラでいいから止まるな』
『過去の実績なんてものはどこかへしまって、今を歩む。150点以上ゴールしたのは昔の話。今の僕にはどうでもいいんだ』
『学ばない者は人のせいにする。学びつつある者は自分のせいにする。学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい』

カズさんが止まってないのはわかる。
でも150ゴールがどうでもいいと本当に思っているのだろうか?
…思っているんだろうな。
宮里藍ちゃんと一緒。
言葉を変えれば「自分に期待することなく、目の前の一打に集中」ということか。

一流のアスリート達に学ぶことは多い。
俺も学び続ける人間でいることにしよう。

2010年8月13日 (金)

カズさん in 日経新聞 2010年8月13日

久々に魂を揺さぶられるような感覚を覚えた。

今日の日経新聞「サッカー人として」のカズさんのコラムは8月7日の岡山戦でのゴールについて。

興味がある方はぜひ今日の日経新聞で全文を読んで欲しい。

いつも私はカズさんの言葉はサッカーだけではなく、ビジネスにも置き換えられると書いているのだが、今日のコラムはいつもに増して私に響いた。

『1つのプレーですべてが変わる。評価だって一変するよ。』(W杯のとき俊輔に送ったメール)

『(岡山戦のゴールに関して)あの1分のためにこの半年があり、あのゴールのために僕のプロ生活25年間があったのかもしれない。』

『総じて人生は成功も失敗も五分なんだ。そこで、あきらめる人とあきらめない人の差が出る。僕はあきらめないよ。』

岡山戦のゴールのために25年間のプロ生活があったなんて・・・

それだけ辛く苦しかったんだろう。それだけゴールが嬉しかったんだろう。

今、ブログを書いていても涙・・・

明日、もう一度だけスカパーで再放送があります

◆08/14(土)12:0014:30 Ch.183

見逃す手はないね。

2010年3月 4日 (木)

清濁併せ呑む

清濁(せいだく)併(あわ)せ呑(の)む
心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。

いつもの日経ネタです。久々に感動する内容だったのでブログに記します。
3月の「私の履歴書」はユニ・チャームの高原慶一朗会長。
今日の記事は小学生時代にリーダーシップが上手く発揮できずに良い結果が出なかったエピソード。
謝恩会での劇を演ずる際、消極的な同級生を協調させることが出来なかったとの事。
曰く、
「単にリーダーが旗を振るだけでは誰もついてこない。リーダーの要望をうまく仲間に共感をもってもらうような話す力、伝える力が必要で、それをわかってくれる雰囲気づくりも大切」
「仲良しなだけの組織はこぢんまりとして不思議に活力が欠けてしまう。自分の意に染まない人がいても1つの目標に向けて組織を束ねていく胆力を持つのがリーダーというもので、器量でもある」

・・・いつもSさんがやっていることではないか。
そして俺にとっては非常に耳が痛い話である。
なぜなら、1年半前にこれで失敗したから。
当時の俺はまさしく清濁を併せ呑む器量を持ち合わせていなかった。

1年半は長かった。
言葉には言い表せないほどの辛さだった。どこまでも落ちていく気もした。
だけど、だからこそ学べたことも多くあったと思える。
今までは見えなかったものも見えてきた気がする。

「因果具時」
「努力、忍耐、時」
そして「清濁併せ呑む」
偉大な経営者たちの言葉を胸に刻み糧にしていこう。

・・・ドトールコーヒーの鳥羽会長の「努力、忍耐、時」という言葉に感動した、とブログに書いたのは昨年の3月4日。
昨年の今日である。
不思議な思いが体をめぐる。

一歩一歩踏み出そう。
謙虚さと「胸に秘めた闘志」を持って闘ってやる。
もう誰にも負けないように牙は充分に研ぎ終わっている。

さあ・・・やるよ!

2009年10月 4日 (日)

中学校時代の恋愛(^v^)

今更だが、今年2月24日付け日経新聞の明星電気の社長さんのコラム。

「心からうつうつとした雰囲気が取り除けないときは青春時代に想ったり想ってくれたりした人を思い出してみよう」との事で、小学校時代の好きな女の子のことを振り返ってみたわけだが・・・

ま~た最近は心からうつうつとした雰囲気が取り除けない。

ならば今回は中学校時代の「想い想われ」を思い出してみよう。

まずは中学校1年生。

好きだったのは同じクラスの「リホ」ちゃん。この子は小学校時代から同じクラスだった。

小学校の時は全く意識していなかったが、なぜか中学校で同じクラスになって好きになった(^v^)百恵ちゃんに似てたと思う・・・かなり好きだったなあ。

で、告白さえできずにリホちゃんは1年生の終わりに転校して俺の恋心は終わり。

・・・このパターン、小学校2年生の時と同じっす(゚ε゚ )

彼女の転校に絶望した俺はその年のクラスの文集に、それとわかる詩を書いて親友のT永クンにズバリ見抜かれたんだけど・・・なんて青い思い出だ(*^_^*)

そして珍しく、1年生の時は俺のことを好きでいてくれる人がいた。

その子は「ミドリ」ちゃん。俺は全然好きじゃなかったんだけど、1年生の終わりに告白されて断っちゃった(目の前で泣かれた)。今考えると、結構かわいい子だった気がするなあ(もったいない)。

で、2年生になってまた女の子に告白された。グループ交際みたいなことで8人くらいの仲間でスケート行ったりして遊んでいたんだけど、なんとなく回りが俺たちを取り持とうと・・・して、あまり好きじゃなかったけど「女の子と付き合う」ってのに憧れて付き合うことにした。

名前は・・・なんてったっけ?名字は覚えてるけど・・・(ケイコちゃんだったかな・・・?)半年くらい付き合ったと思う・・・といっても、デートなどするわけじゃなく、手もつながないまま俺に好きな子ができて別れた。

バレンタインの直前で「話があるから放課後に」って感じで、呼び出しておいて「終わりにしよう」と告げた。・・・最悪な俺だったなあ。このときの俺はひどい対応。彼女はバレンタインにどこ行く?って相談だと思ってたらしいのに、そんな空気も関係なくいきなり「もう付き合うのやめよう」って伝えたから、この子もいきなり泣いてたなあ。このこのその時の悲しそうな顔は30年以上経った今でも忘れられない。

で、好きになった子は同じ塾の「ミカ」ちゃん。チャーミングな子だったなあ。好きで好きで、生まれて初めて俺から告白したんだっけ(塾の帰りに待ち伏せた)。

3年生なってすぐ付き合い始めて、高校になっても付き合ってたから結構長くつきあってたことになるな。

ミカちゃんとはクラスは別だったけど、ホント良い付き合いで、彼女がクラスの女の子を煽動してテニスの試合に大挙して応援に来てくれたり、通学中に10人くらいの女の子が声を揃えて「リチャードさ~ん(このときはもちろん本名で)」と大声で呼ばれたり・・・仲良かったなあ。

でも、何回デートしたろう?手くらいはつないだかな。でもそれだけ。なんせ30年前の田舎の中学生の付き合い方って、ホントにピュアだった。

高校になって自然消滅になったけど・・・今なにしてるんだろうなあ・・・

総じて・・・こんな中学生時代。実にかわいいもんだ。

でも俺、中学校時代はテニス部のキャプテンで成績も良かったし結構モテたと思う。

スポーツも勉強もできてギターも弾いてたし・・・加えて目立ちたがりだったし。

いちいち書いてないけど、俺のこと好きだって告白されたり、噂のある子は結構いたけどねぇ(´ー`)

で、こんなつまらないこと書いて、今日は「心からうつうつとした気分が取れた」か?

たしかに少し取れた。

もう大人だと思っていた中学校時代。

でも振り返ったら全然ガキっぽい中学時代。

一生懸命に勉強して、スポーツに頑張って、恋愛して(モテようとして)、精一杯に生きようとしていた3年間。

今はそんなにエナジーを燃やしてるか?

答えはNO.

う~ん、振り返るだけじゃなくて、今は前に前に進もう。

中学校時代の俺は燃えてたよね。

よし、過去の俺からマインドをもらって、もう少しがんばれそうだ。

先に先に進もう。

2009年7月 7日 (火)

道違えども物言う信念

久々の日経新聞ネタです(゚ε゚ )

今日(2009年7月7日)のスポートピアの水沼さんの記事に共感した。

現代のサッカー少年の育成の道を分類すると学校の部活、民間クラブ、Jクラブの下部組織、日本協会直轄のアカデミーと4つあるらしいのだが、意外にも現在の日本代表の主力をみると、俊輔や遠藤、佑二を筆頭として、高校サッカー部出身者が圧倒的に多いらしい。

(俊輔はマリノスユースに残れなかったんだけど(゚ε゚ ))

水沼さん曰く、

「彼らの歩みを見ているとサッカーは回り道ができる競技だとつくづく思う。登山と一緒で頂上までのルートはいくつもある。大事なのは『どの道が正しいか』ではなく、どの道をたどろうと頂上に立ってみせるという信念なのだろう」

とのこと。

さすが水沼さん(゚ー゚)・・・その通りだよね。

ちなみに水沼さんの息子(宏太)はマリノスユース出身だけど(゚ー゚)

俺はこの1年、あの屈辱を忘れた日は無い。

今の苦しみ、もがき、痛み・・・すべて糧にしてやるという信念。

そしてトップに立ってやるという執念。

俺は持ち続けているつもりだ。

今は努力を重ねながら忍耐の時だ。

引き続きたゆまない努力を重ね牙を磨き、自分に負けぬよう目の前の小さな勝利を積み重ねていく。

「努力、忍耐、時」を信じてやっていこうと思う。

遠回りのように見えても「あがってなんぼ」だから。

2009年4月 1日 (水)

新年度にあたり『武士道と道徳の真髄』を考える

原監督が熟読したという新渡戸稲造の「武士道」を読んでみた。

武士道を初めて定義した文献として世界各国で賞賛された文献だという。

アメリカ大統領のセオドア・ルーズヴェルトはこの本を読んで感動し日本びいきになり、ひいては日露講和条約の調停役を引き受けるきっかけにもなったとも言われている。

しかも特筆すべきは新渡戸稲造が日本語で出版せずに英文で出版したというから驚き。

(一説にはポーカーをしながら口述したとも言われている)

とんでもない天才が100年以上も前にいたもんだ。

(無知ですいません、旧5千円札の肖像でしか知りませんでしたわ)

俺が読んだのはPHP文庫から出版されている岬龍一郎さん訳の版。

内容は難解であり、熟読まではいっておらず大意をつかんだに過ぎないが、なるほど・・・教本に値する一冊だ。

しかも巻末にある岬龍一郎さんの解説が印象深い。

曰く「日本人の道徳律は儒教に負うところが大きく、孔子は五常の徳『仁・義・礼・智・信』を主体として『忠・考・悌』を合わせた八つの徳で人の倫を説いてきた」

「新渡戸は武士道の基本的精神として『義』を支柱に置いた」
(部分意訳)

・・・出たな。

俺達の世代には縁が深い『仁・義・礼・智・信・忠・考・悌』。

いや、儒教じゃなく30年以上前のNHKの人形劇「新八犬伝」で
(ノ∀`) 。

爆発的な人気番組だっと思う。

TVの新八犬伝では『仁・義・礼・智・忠・信・考・悌』の並びじゃなかったかな。

『義』の玉を持つ男は・・・ああ、犬川額蔵(荘助)ね(Wikipediaより)。

八犬士一の苦労人とな・・・そこまでは覚えていない。

話が横道にそれたが、とにかく武士道と道徳の真髄は密接な関係にあることを知った。

岬さん曰く、武士道精神はわれわれ現代人の中にも残っていると言う。

今でもわれわれがよく使う「卑怯者」とか「恥を知れ」という言葉はその現われだとか(なるほどなあ)。

しかし、今もそれを国民的精神として持っているかと言えば、答えは「No」であると言う。

「物質主義・経済至上主義のもとに効率化だけを求め、社会人として守るべき公徳心を忘れ、人情をなくし、住みづらい世の中を作ってしまったのは、誰であろうわれわれ日本人そのものである。」との事。

そして岬さんはこう結んでいる。

「日本人の伝統的文化遺産ともいえるこの武士道を、いまこそ再評価していい時期なのではないか」

・・・無茶苦茶に共感する(変な日本語だなあ)。

武士道を語るにはあまりにも小さな話で恐縮だが、やたら商業主義のみに走りすぎる飲食店や、立派な大人の通勤電車での身勝手なマナーなどに最近辟易していたところだ。

思いやりや譲り合いを日本人は美徳としてきたのではなかったか。

う~む、恐るべし「武士道」。

もう少し熟読してみようと思う。

しかし、まずは自分の行動から律さなければ。

今期は武士道精神で勝つぞ!

2009年3月26日 (木)

武士道

買って来ました・・・

この土日にかけて読んでみますわ。

2009年3月24日 (火)

WBC優勝おめでとう!侍ジャパンよ!グッドウイナーたれ!

実にハラハラしたが良い試合だった。

いわゆる“激闘”、歴史に残る試合だろう。

実は試合前から日本チームが勝つような気がしていた。

理由は韓国チームがグッドウイナーでなかったからだ。

何度も報道されたとおり、2ndラウンドの2回戦で韓国チームが日本チームに勝った際、マウンドに韓国国旗を立て勝利を祝ったと言う。

ちなみに私は国家間事情の話をしているわけではないので、ご承知置きいただきたい。

これほど敗者の感情を逆なですることが行為があろうか、ということである。

スポーツにはルールがある。しかしそれを超えた「互いの尊重」があるからこそ、人々を魅了するのだと思う。

韓国チームはそれを破った。

実はこのニュースを知ったとき、俺はあるエピソードを思い出した。

古い話で恐縮だが、1989年の日本シリーズは近鉄と巨人の対決だった。

近鉄は初戦から3連勝で一気に王手をかけたのだが、その3戦目に先発し勝利投手となった加藤哲郎投手が勝利者インタビューで、「巨人は(その年最下位だった)ロッテより弱い」と発言したのだ。

この発言に怒らない巨人選手はいない。もちろん巨人ファンもだ(俺もその一人)。

そしてロッテ選手にも失礼な話だ。

この発言には相手に対する敬意や尊重が微塵も感じられなかった。

そしてその結果、奮起した巨人はその後4連勝してシリーズをものにしたのだ。

加藤投手は第7戦に先発したものの2回表にノックアウトされ、さらに恥をさらした格好となった。

(ノックアウトされた際に巨人ファンとしては面白いエピソードがあるし、その後も彼は懲りない人生を歩んでいるのだが、ここではあえて触れない)

当時の俺としては巨人の逆転優勝で溜飲を下げたのだが、20年の時を超え、先日の韓国チームの行為がダブって見えた。

結果はご覧のとおりである。

やはりグッドウイナーは敗者の気持ちを知らなければ(酌まなければ)ならない。

いつぞや日経新聞の「フットボールの熱源」からグッドルーザーの精神とは?を学んだとブログに書いた。

グッドルーザーの精神(2008年11月26日付) 参照

2ndラウンドで負けた際の「秘めた闘志」を糧に韓国チームに2連勝した日本チームはグッドルーザーであり、韓国チームはグッドウイナーではなかったということになるだろう。

だから韓国チームは敗れた、とまでは言わない。

9回裏2アウトから追いつくなど、韓国選手の見せた勝利への執念は見習うべきだ。

しかし、グッドウイナーではなかった韓国チームに勝利の女神が微笑むとは、俺にはどうしても思えなかった。

1989年の日本シリーズとともに、2009年のWBCを俺は一生忘れないだろう。

もしも加藤投手があのような発言をしなかったら・・・

もしも韓国選手がマウンドに国旗を立てるような事をしなかったら・・・

結果はまた違ったものになったような気がしてならない。

でも、今日は本当に良い試合を見せてもらった。

素直に感動した!ありがとう!侍ジャパン!