至福の一杯にもの思ふ(・へ・)
今週、シンプルなラーメンを2杯食べました。
自然洞と栄屋ミルクホール。
どちらもシンプルながら、素直に旨いと感じる味でした。
特に栄屋の醤油ラーメンは「昔ながらの」味で、昭和初期に立てられた建物と相まって郷愁さえ覚えるものでした・・・
で、ふと考えたのです。
RDBを始め食べログなど食べ物の評論サイトの書き込みって、一体なんだろう?
もちろん私もRDBのレビュワーの一人であり、今日現在まで170杯のレビューをアップしているし、同好の士との情報交換やコミュニケーションを楽しんでいる。
何が言いたいかと言えば、『お金を払って食べていると思って、好き勝手なことを書いてやしないか?』ということである(あくまでも自問自答です)。
私の大好きなお店の店主さんとお話ししているときに、こんなやり取りをしたことがあった。
そのお店は入居ビルが老朽化で取り壊されるため、移転を余儀なくされていており、「今度はもっと大きなお店にすれば?」との私の問いかけに対し、彼の答えはこうだった。
「いえ、大きな店だとお客様に目が行き届かなくなるんで、僕ダメなんですよ」
この方は「お客に旨いものを提供しよう」「今日の味にお客は満足しているだろうか」「旨いというお客の笑顔が何よりのご褒美だ」と常にお客に気を配っている方である。
世の中に星の数ほどある飲食店。
酷い店も多くあるが、このように素晴らしい考え方を持つ経営者や店主さんも多くいらっしゃる。
(国民第一とか言いつつ、権力争いばかりやっているどこかの国会とは大違い)
私が好きなお店(ラーメン店に限らず)は、こういう姿勢に溢れている店主さんのお店ばかりである。
私はRDBで評価(評判)の高いお店を見つけるとブックマークして、仕事でその方面に行く機会があれば訪問するようにしている。
「味」の評価が高い店は、得てして店主さんの店作り(接客やこだわり)の姿勢と正比例するものだと確信する。
で、前置きが長くなりましたが・・・
そんな真剣勝負の一杯に対して、あまりに容易な書き込みをしてないか?ということなのである。
(しつこいですが、あくまでも私自身への自問自答ですから・・・)
私の場合、評論家よろしく「麺はどうした」「スープの出汁は・・・」などと、ウケウリの情報を元に陳腐な知識を背伸びしてひけらかしている場合が多いと自分で感じる。
(新しい情報をアップする場合は、必ず下調べするようにしているとはいえ・・・)
作り手は自分の作品を切り刻んで評価してもらいたいだろうか?
例えば中学校の国語のテストで『右の文章を読んでこのときの主人公の気持ちを20字以内で答えなさい』というのに似てないか?
小説の作者は一コマ一コマを切り刻んで分析されることを望んでいるだろうか?
私がラーメン屋の店主だったら『で、旨かったの?また食べたいと思ったの?どうなのよ?』と感じると思う。
もちろんRDBは「作り手」向けの情報発信が主ではなくて、「食べ手」への情報サイトなのだが、レビューアップする以上、真剣勝負の一杯に失礼なことは書けないというのは当たり前の話だ。
たとえそれが自分の口に合わなかったとしても・・・
難しいことはさておき・・・Web上の情報公開はお手軽だが責任も負うということをレビュワーは肝に銘ずる必要がある。
と同時に「一杯のラーメン」はそれ自体が作品であり、要は「旨い」のか「そうでない」のかが大事であるということだと思う。
仮に麺も具もスープにも特筆するものが無かったとしても、全体的にまとまっていれば旨いと思うだろうし、店主さんの真剣さが伝わればまた来たい、応援したいと感じるはずだ。
何が書きたかったのかわからなくなってきましたが・・・(笑)
「作り手」の気持ちに応えるレビューアップを心がけていきたいと思う今日この頃だ。
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